
世の中には、自分の判断が、いつも正しいと、思っている人がいます。
自分の判断を、そんなに過信しすぎて、いいのでしょうか。
ここで、マサカリをなくした、男の話を紹介します。
ある男が、マサカリをなくした。
隣の息子が、あやしいと思った。
その息子の歩き方をみると、どうも盗んだようだ。
顔つきも、盗んだようだ。
ことばつきも、盗んだようだ。
やることなすこと、みなマサカリを盗んだように、見えてくる。
ところがその後、谷間を掘っていると、思いがけずマサカリが、見つかった。
それからは、隣の息子のやることなすこと、盗んだようには、見えなかったという。
自分の思い込みで、罪のない者まで、疑わしく見えた、という話である。
疑わしい眼で見れば、すべてのことが、疑わしく思われてくるのだという。
「疑心暗鬼」という、四字熟語があります。
「心に疑いを持っていると、暗闇の中に、ありもしない鬼の形を見たりする」ということから、来た語となります。
この言葉は、「一度疑い始めると、何でもないことまで、疑問や不安を感じたり、恐ろしくなってくることのたとえ」として、使われています。
これに類する話は、誰にでもあるでしょう。
誤った予断や先入観によって、判断をまどわせられるのです。
自分の判断でも、無条件の信頼など、置かないほうが、よいのかもしれません。
決めつけの判断は、間違っていることも、多いのです。
