当事者意識を持とう 1009

嫌な仕事があると、誰かがしてくれるだろう、と思います。
チームでプロジェクトに取り組んでいると、他の人が頑張ってくれるだろう、と思います。
綱引きをする時に、自分ひとりぐらいは力を抜いても、迷惑をかけることはないだろう、と思います。

こんな気持ちの人がいると、周りのみんなが、困ってしまいます。
何事においても、責任がなく、当事者意識が、薄いのです。

もともとは、どこかの国の民話らしいのですが、こんな話を、聞いたことがあります。
村の教会に、長い間いた牧師が、ほかの村へ移り住むことになり、村人たちは、長年お世話になった牧師に対して、何かお礼をしたい、と考えました。

しかし、なにしろ貧しい村で、感謝の品を贈ろうにも、お金がありません。
そこで、「村人の全員が、自分の家にあるワインを、1杯ずつ樽に詰めて贈る」という方法を考えたのです。
この方法なら、ひとりひとりは、大した負担にならないし、全員で1杯ずつ出せば、ひと樽分のワインを、牧師にプレゼントすることができます。

牧師が出発する前日、集会所に次々と、村人たちがやってきて、備え付けられた樽に、1杯ずつワインをそそいでは、帰っていきました。
翌日、ワインで満たされた樽を、贈られた牧師は感激し、その村を離れたのです。

新しい赴任地に着いたこの牧師は、その樽を開けて、ワインを飲もうとして驚きます。
なんと、ワインが真水に、変わってしまっていたのです!

そう、勘のいい皆さんなら、もう真相は、おわかりですよね。
この村人たち、「自分ひとりくらいなら、バレないだろう」と考えて、全員がただの水を、樽にそそいでいたのでした。

牧師にとっては、衝撃的で悲しい出来事だった、と思います。
もっと村人ひとりひとりが、当事者意識と責任を持ち、行動すべきでした。

しかし、このようなことは、多人数で何かをする場合に、起こりうるのです。
そんなときこそ、気を引き締めて、自分に厳しく真摯に、行動したいものです。

2021年10月15日