手品師のマギー司郎(しろう)さんのことを、紹介します。
「ヨコじま模様のハンカチが、一瞬でタテじま模様に変わるマジック」や「右耳から入れたハンカチが、左耳から出てくるマジック」など、お客さんにタネが丸わかりのマジックを、ずーーっとやり続けている手品師。
はっきり言って、たいしたマジックは、やっていません。
でも、マギーさんはたぶん、日本一お客さんに愛される手品師なのです。
とにかく、語りを聞いているだけで、マギーさんのやさしさが、伝わってくる。
朴訥(ぼくとつ)な人柄まで含めて、「芸」にしている、希有(けう)な存在です。
そんなマギーさんの「人生の前半」は、「苦労」の連続でした。
マギーさんは、9人兄弟の7番目。
父親は事業に失敗してばかりで、実家はとても貧乏。
そのため、マギーさんが、お腹の中にいるときにお母さんが、十分な栄養を摂(と)ることができず、その影響でマギーさんは、片方の目がほとんど見えないというハンディを持って生まれたそうです。
黒板の字がよく見えず、読み書きは、早い時点で落第。
その後、大人になってから手術をし、「読み」については、漫画のセリフで一生懸命勉強したものの、新聞をやっと読めるようになったのは、45歳を過ぎてからなのだそうです。
「書き」のほうは、今でも自信がありません。
マギーさんは、16歳で茨城の実家から家出して上京し、さまざまな仕事を経験しながら、「売れないマジシャン」として、活動していました。
しかし、このときに、場末(ばすえ)の劇場で、苦労に苦労を重ねて、「おしゃべりマジック」を作り上げたことが、のちのブレイクにつながったのです。
マギーさんの芸に惚れて、強引に弟子になった、マギー審司(しんじ)さんにも、こんなことを話していました。
「テレビは、お金持ちから貧乏人まで、いろんな人が観るから、全員の気持ちが、分からないとダメ。
上は、あとから経験すればいいことだから、下の経験でできることは、何でもした方がいい」
マギーさんは、「若いうちの苦労は、買ってでもしろ」のことわざを、体現しているのです。
人生の苦労は、成功のタネとなって、花開くのです。
今苦労しているあなたは、着実に成功へと、近づいているのです。