情報と先手で勝負 1169


スポーツ・仕事などにおいて、勝負をして相手に、どうしても勝ちたい時があります。
そんな時に、どうしたら相手に、勝つことができるでしょうか。

まず、相手より優れた力を持つことが、必要です。
しかし、力を蓄えることだけに、時間がかかりすぎると、結局は負けることになります。

ここで、織田信長の「桶狭間(おけはざま)の戦い」を、紹介します。

2万人対2千人。
何の数字か、わかりますか?
実はこれは、織田信長が今川義元を破った「桶狭間の戦い」における、両軍の兵力の数です。
もちろん、2万人のほうが、今川義元の軍で、圧倒的に数が少ない2千人のほうが、織田信長の軍です。

この兵力の差をひっくり返して、見事に勝利した織田信長。
その勝因は、豪雨の中、「はざま」という名前のとおり、細い窪地である「桶狭間」で休んでいた今川軍に、信長が奇襲をかけたことだと言われています。
細長い地形では、兵の数に差があっても、それを活かせないことを信長は、読み切っていたのです。

さて、この戦のあと、戦で活躍して褒美をもらった家臣の中で、第1位に評価されたのは、梁田正綱(やなだまさつな)という家臣だったそうです。
この正綱さん、いったいどのような手柄を立てたと思いますか?

「今川義元の首をとって」ですって?
いえいえ、違います。
正綱さんは、この奇跡の勝利に、もっと大きな貢献をしたのです。
さらに言えば、もし、彼がいなかったら、信長勢に勝ち目はなかったと言っても、過言ではありません。
それは、・・・。

信長に「現在、今川勢は桶狭間にて、宴会を開いていて、酒に酔っている最中です」と報告した。

この報告を受けた信長は、ただちに今川勢を奇襲し、大勝利をおさめたのです。
今川義元にすれば、まさか、大雨の中敵が襲ってくるとは、夢にも思っていなかったでしょう。
今川の兵士たちは逃げまどい、わずかな兵が、今川義元を守ろうとしましたが、そのことが逆に総大将の居場所を、教えることになってしまったそうです。

信長がすごかったのは、当時の戦の常識にとらわれず、今、このときしかないという「大チャンスの情報」を活かして、雨中の奇襲で、先手を打ったことです。
戦の後は、オイシイ情報をもたらした兵を、最も高く評価するとは、さすが戦の天才、織田信長です。

今も昔も、勝負を制するのは、「情報」と「先手」なのです。
果敢に情報と先手で、勝負していきましょう。

2024年11月22日