
「世界の富の半分を持つ男」とまで言われた、アメリカの大富豪がいました。
その大富豪は晩年、極度の人間不信に陥り、誰とも会うことが、なくなりました。
可愛そうに、買い取った高級ホテルのスイートルームから、一歩も出ない生活を送った、と言われています。
大富豪は、幸せだったのでしょうか?
ギャグにこんな作品が、ありました。
「母ちゃん、僕の弁当、毎日梅干し1つしか、入ってないじゃないか」
「うん。でも、その日によって、位置だけは、変えてるよ」
貧乏だって、工夫次第で、楽しめるのです。
かって、高度成長する前の日本では、他人同士の助け合いや見返りを求めない人情、そして「貧乏を楽しむ工夫」が、社会に根づいていました。
醤油を切らしたといえば、となりが、かしてくれる。
お茶がないといえば、向かいの人が、かしてくれる。
となりが魚のアラを買ってくると、こっちから大根を出して煮て、そいつを分け合って、食べるというように、お互いに都合しあって、暮らしている。
誰か体の具合でも悪いというと、まわりのおかみさんたちが、ドヤドヤとやって来て、くすり屋へ走ってくれる。
湯たんぽを、持って来てくれる。
そりゃぁ人情てものが、ありました。
貧乏でも、恥ずかしいことは、何もないのです。
貧乏でも、お金で買えない、「人と人とのつながりと優しさ」が、「人生の宝」であり、自慢なのです。
貧乏の中に、助け合いや優しさがあり、人情的な喜びが、あるのです。
人は、人と人とのつながりの中で、幸せに生きられるのです。
