まだまだ未熟 1062


人は、何事にも慣れてくると、ついつい自分はできる、と過信してしまう傾向にあります。
少しやっただけなのに、謙虚さを感じなくなり、傲慢になってしまうのです。

そうなれば人は、日ごとの真摯な努力を、継続できなくなります。
人としての成長が、ストップしてしまうのです。

あるカメラマンが、新潟で50年間も、お米を作り続けている、農家のところへ、取材に行った時のことです。
写真を撮り終えて、最後に、何気なく「今年のお米の出来は、どうですか?」と聞いたのだそうです。

それに対する農家の返事が、実にカッコいいのです。
きっとこの人は、感じるままに、答えたのでしょうが、人生の教訓になるような、一言だったのです。

「いや、わかりません」
「僕は、まだ米を、50回しか、つくったことがない、ですから」

この言葉は、まさに「実るほど 頭を垂れる 稲穂かな」です。
天狗にならないにも、ほどがあります。

1年に1回しか、作ることが、できないお米。
そのお米を、毎年毎年、まるで「初めてお米を、作った年のように」ひたむきに、真面目に、丹精込めて、作っている姿勢が、伝わってきます。

10年やそこらの経験で、仕事の全部が、わかったような顔を、してはいけませんね。
どんな仕事も、奧は深い、いくらでも追求できます。

「こんな仕事、クリエイティブじゃなく、つまらない」「俺は、こんなところで、くすぶっている、器じゃない」などと、偉そうに言う前に、今、取り組んでいる仕事の深掘りを、しましょう。
意外な奥の深さに気づき、今まで、楽しくもなんともなかった仕事が、がぜん面白く、なるかもしれません。

「まだまだ未熟」と、現状の自分に、満足しない謙虚さが、仕事をさらに、追求する姿勢につながります。
それが成長として、わが身に、跳ね返ってくるのです。

2022年10月21日