
小さな我慢が、できないようでは、大きな仕事を仕損じる。
大きな目標の前には、ならぬ堪忍も、しなければならない。
「ならぬ堪忍」の好例として、よく引き合いに出されるのが、韓信(かんしん)の故事である。
韓信は、漢の高祖劉邦(りゅうほう)に仕えた将軍だが、若い頃は定職にもつかず、ぶらぶらしていた。
そんなある日、普段から韓信をバカにしていた、ヨタ者が、因縁をつけてきた。
「やい、でっかい図体(ずうたい)に、剣などぶら下げやがって、格好ばかりは1人前だが、肝っ玉のほうは、からきしだろう」
人だかりがしてくると、ヨタ者は図に乗って、「やい、度胸があるなら、おれを刺してみろ。それが恐けりゃ、股(また)をくぐれ」
韓信は、黙ってヨタ者の股を、くづったという。
韓信の力をもってすれば、そんな相手の2人や3人、とりおさえるのは、わけもなかったに違いない。
だが、こんな小事(しょうじ)に、かかわってもつまらない。
大事(だいじ)の前の小事と思いなおして、あえて股をくぐったのである。
我慢こそ、大きな力になるのです。
大きな力を発揮できる人は、我慢力が、高いのです。
