機が熟すのを待つ心のゆとり 900


今の社会は、スピードの時代です。
そのためには、先手先手で判断し、行動しなければいけません。

しかし、素速く行動すれば、いい結果が得られるとは、限りません。

○彼女とつきあい始めて、すぐに結婚を申し込んだが、急ぎすぎて失敗した。
○大きな契約が取れそうだったのに、積極的になりすぎて、相手を怒らせてしまった。
○友だちに「頼んだことが、まだできていないの」と言ったら、反発して「もう協力しない」と言われた。
○お客様が、商品を購入したそうだったので、「この商品になさいますか」と聞いたら、「驚いて、購入しません」と言われた。

このように、よかれと思っても、上手くいかないことが、多くあります。

「機が熟す(きがじゅくす)」という言葉が、あります。
これは、「物事を始めるのに、ちょうどよい時期になる」という意味です。
必要に応じて、機が熟すのを待つのも、大切なのです。

ここで、アジアの民話を、紹介します。

いつも道ばたに、座っている老人がいた。
来る日も来る日も、村はずれの大きな木の下に、座っているのである。
「いったい何を、しているのだろう?」
この奇妙な老人の行動は、いつしか村人たちの噂と、なっていった。

ある日、好奇心の強い村人が、老人の様子を、1日中観察してみた。
すると、老人はただ黙して、座っているわけではないようだ。
1日に何回か、思い出したように、両の掌を打ち鳴らすのである。
老人は、それを毎日毎日、飽かず繰り返しているようだった。

「あなたは、毎日ここに座って、手を打っているようですが、いったい何を、しているのですか?」
次の日、思いあまった村人が、尋ねた。
老人は、答えた。
「この木になっている実が、落ちるのを、待っているんじゃよ」
「はあ? それならば、木に登るなり、棒で取るなりすれば、いいんじゃないですか?」

「いやいや」と老人は、さらに答えた。
「『機が熟する』という言葉があるようにな、あの実もやがて熟すれば、落ちるときがくる。それが自然の習わしじゃから、こうして手を打って、それで落ちる実だけを、いただこうと、おもっとるんじゃ」

なんてのんきな老人だろう。
もしかしたら、ただのアホかもしれない。
村人は呆れて、その場を立ち去った。

村人が言うように、「木に登る、棒で取る」ことは、いいでしょう。
しかし、老人のように、機が熟すのを待つ心のゆとりも、とても大切なことなのです。

どんな時も、一度立ち止まって、機が熟すのを待つ心のゆとりを、持ちたいものです。
焦らず、ゆっくりゆっくりです。

2021年01月07日