自分のために生きよう 901


世の中には、人のために、頑張りすぎる人がいます。
子どものため、親のため、夫のため、妻のため、仕事のため、学校のため、会社のためなどです。

そのように自分を捨てて、何かのために、一生懸命になることは、貴重なことです。
しかし、それもやり過ぎると、自分が潰れてしまうことに、なります。

親が、子どものために必死になって、子育てしていたのに、子どもが独立をしてしまい、生きる気力を、失ってしまった。
社員が、社長のために身を捧げてきたのに、社長からリストラをされ、病気になってしまった。

このように、自分のために、生きることを忘れて、人のために、頑張りすぎたのです。
どこかで、知らず知らずのうちに、無理しすぎたのです。

うつ病タイプの人には、特にこの傾向が、目立ちます。
もっと自分のことを、大切にすることが、必要です。

たとえば、宗教家は、人を救うためにある、と言います。
けれども、お釈迦(しゃか)様が、悟りをひらいたとき、彼は自分の思想で、世の中や苦しむ人を、救済しようなどとは、まったく思っていなかったのです。
それどころか、この悟りは、たいへんに高尚であるから、とても凡人には、わからないだろうと、思っていたのです。

そこに梵天(ぼんてん)神があらわれ、「おまえの悟ったことは、とてもいいことだから、ぜひ世の中に、広めるべきだ」と、釈迦を口説きはじめた。
気が進まなかった、釈迦でしたが、さすがに相手は、梵天神。
押し問答の結果、「それではしかたない」と、折れることになった。
そして、しばらくしてから、説法の旅に、出ることになったのです。

ところが、ここで釈迦は、梵天神にこう条件を、つけたのです。
せめて旅に出かけるまでの間だけでも、この悟りを、自分一人のものに、しておくことを、許して下さいと。
梵天神も、「まあ、それくらいは、しかたないだろう」と、これを了承した。
そうして、旅に出るまでの間、毎日釈迦は、悟りを開いた木の下で、ひとりでニヤニヤしながら、座っていたのだった。

お釈迦様だって、自分のことを、大切にしていたのです。
自分のことを大切にするから、人々の気持ちが、よくわかったのでしょう。

もっと気持ちを、楽にして、生きましょう。
自分がしたいこと、楽しいことを、気持ち良くしましょう。

自分のために、生きましょう。
そのことが、自分自身を、大切にすることなのです。

2021年01月08日