人生を2度生きる 943


人生を、何か1つのことに熱中し、最期まで生き抜く人がいます。
俳優、芸術家、伝統工芸家などがいます。

人生を、何か1つのことに打ち込み、命が尽きるまで、好きなことを、やり続けます。
大変幸せな生き方だと、思います。

会社や工場などに、勤めている人は、定年退職まで1つの仕事のことに、夢中になります。
しかし、定年退職後は、これといって夢中になることもなく、好きな趣味をしたりして、なんとなく過ごす人が、多いように思います。

せっかくの人生ですから、思い切って人生を、2度生きたらどうでしょうか。
ここで、「人生二毛作」を実践した、伊能忠敬のことを、紹介します。

伊能忠敬は、幕末に実測による正確な「日本地図」を、つくり上げた最初の地理学者です。
忠敬は1745年、上総国(かずさのくに)小関村(現千葉県山武郡九十九里町)に生まれ、18歳のとき下総国(しもうさのくに)佐原村(現千葉県佐原市)の伊能家の婿に入った。
伊能家は、酒造業を営む名家ではあったが、没落寸前だった。
忠敬は、江戸で薪(まき)問屋を開き、その利益で伊能家を、再建した。

49歳で長男に、家督を譲り、江戸に出て、好きな天文・測量の勉強を始めた。
55歳のとき、幕府から蝦夷地(えぞち)南東海岸の測量を命じられ、このときつくった彼の地図が、非常に正確であったことが評判になり、以来16年間、73歳で亡くなるまで、日本全国の地図測量の仕事に、専念した。

彼が歩いた距離は、地球1周より長い、と言われる。
日本にやってきた英国艦隊が、彼が作成した地図を見て、その正確さに驚き、持参した地図を修正した、というエピソードが、残っている。

このように伊能忠敬は、「人生二毛作」を実践し、最期まで幸せに生きたのです。
人生を2度生きることは、誰でもできるのです。

積極的に2度目の人生に、挑戦していきましょう。
もちろん3度目・4度目の人生も、いいのです。

自分の夢や好きなことのために、人生の終わりまで、精一杯楽しんで、生きましょう。

2021年02月19日