生きる目標は喜ばれる存在になること 972


生きる目標は、どんなことでしょうか。
幸せになること、人の役に立つこと、経済的にお金持ちになること、愛する人といっしょに過ごすことなど、いろいろな考えた方が、あるでしょう。

いろいろな考え方の中の1つに、「喜ばれる存在になる」ことがあります。
人と競争したり、他人を蹴落としたりして、1番になったりすることではなく、多くの人から「喜ばれる存在になる」ことなのです。

ここで、心理学博士・教育学博士・社会学博士の小林正観(こばやしせいかん)さんの話を、紹介します。

私は30歳で、結婚をしたのですが、なかなか子どもに恵まれず、3年後、ようやく長女が誕生しました。
ところが、待ち望んだその子は、知的障害児だったのです。
染色体に異常があり、彼女の知能は、永久に発達することは、ありません。
医師からそのことを、告げられたときには、ショックで目の前が、真っ白になりました。
私はしばらく、知的障害を抱えた娘を、受け入れることが、できませんでした。
しかし、半年ほど経ったとき、「新生児の600人に1人は、障害児として生まれる」と書かれた、新聞のコラムが目にとまり、その記事を読んだ私は、こう思うようになったのです。

「他の家に生まれるより、小林家に生まれてきて、よかったね。普通に、温かく迎えてあげられるから。私は今日まで、まるで被害者になったように、思っていたけれど、娘の立場で考えれば、娘はとてもいい選択を、したと思う。きっと、彼女は、いじめられないようによい親を探して、その結果、私たち夫婦を、選んでくれたんだね」
そう思った瞬間、私は彼女を、受け入れることができました。
そして今日まで、彼女を通して、たくさんのことを、学ぶことができました。

彼女が、小学校6年生のときのことです。
運動会の徒競走が、ありました。
彼女は、普通の子どもよりも、筋力がないので、いつもビリ。
でも、その年は、足を捻挫した友だちがいたため、「もしかしたら、はじめてビリじゃなくなるかもしれない」と、妻は喜んでいました。

結果は・・・、娘はまたしても、ビリでした。
ところが妻は、残念がることもなく、それどころかニコニコと、嬉しそうでした。
娘は、捻挫をしている友だちを、気にかけながら、心配そうに、振り返り振り返り、走りつづけたそうです。
足をかばいながら、走っていた友だちが、転んでしまうと、娘は友だちのところに、駆け寄り、手を引き、一緒に走り始めた、というのです。

2人の姿を見て、子どもたちも、保護者も、2人に大きな声援を、送りました。
そして、ゴールの前まできたとき、娘は、その子の肩をぽんと押して、その子を先にゴールさせた、というのです。

娘は、「喜ばれる存在」になることの大切さを、教えてくれるために、私たち夫婦の子どもになったのだと、ハッキリと、わかりました。

2021年03月20日