何ごとも神様のおぼし召し 1172


「美意の按配(びいのあんばい)」という寓話を、ご存じでしょうか。
「美意の按配」とは、「何ごとも、神様の思し召し」というような意味です。

昔、ある小さな国に、若い王様とその家来がいました。
家来の口ぐせは、「何ごとも、上天からの美意の按配」。
王様は賢い家来を信頼して、2人はいつも一緒でした。

さて、ある日のこと。
いつものように2人でトラ狩りに出たとき、王様は獰猛(どうもう)なトラを仕留めます。
しかし、完全に死んでいなかったため、王様は小指を食いちぎられてしまったのです。

帰り道、「今日は本当に運が悪い」と繰り返す王様。
それを聞いていた家来は、いつものように、「王様、これも美意の按配でございます」と言います。
この言葉を聞いた王様、カチンときます。

「では聞くが、もし、私が怒っておまえを殺したとしても、それを美意の按配だというのか?」
「はい、王様。それも、美意の按配でございます」
自信たっぷりに答える家来に、いよいよ腹を立てた王様は、城に戻ると、その家来を牢に入れてしまいました。

数日後、1人で狩りに出た王様は道に迷い、危険な野蛮人が住む地域に、入り込んでしまいました。
王様は野蛮人たちに捕らえられ、神様への神聖な生贄(いけにえ)にされることに。
いよいよ、生贄になろうという寸前、野蛮人たちは、王様に小指がないことに気がつきます。
そして、「不浄の者を生贄にはできない」と、王様を解放したのです。

命拾いをした王様は、何とか城に戻ると、すぐさま、家来のいる牢へ向かい、今日、自分に起こったことを家来に話して言いました。
「おまえの言うとおり、私が小指を失ったのは、美意の按配であった。許せ」
「王様、気になさることはありません。それに、王様が私を牢に入れたことも、美意の按配でございます」

「なんと、それはどういうことだ?」
「もし、牢に入れられていなかったら、私は今日、王様と一緒に狩りに行っていました。そして、私だけが生贄になったことでしょう。ですから、これはすべて美意の按配でございます」

いかがでしたか?
一見、悪いことが起こっても、よい方向に転ぶかもしれないから、クヨクヨすることはない、という教えです。

何ごとも、神様のおぼし召しなのです。
どんな時も、楽天的に生きたいものです。

2024年12月14日