無理しすぎないで生きよう 822


何かに向かって、必死になって、努力を続けることは、大切なことです。
しかし、無理しすぎると、悪いことが起こり出します。

○毎日長時間働き過ぎて、体も心も、クタクタになってしまった。
○ノルマを達成しようと、必死になりすぎ、精神的にノイローゼに、なってしまった。
○陸上の練習を頑張りすぎて、膝が痛くなり、歩くのも難しくなった。
○責任ある仕事を、長い期間続けすぎて、意識を失い倒れて、病院で手術をした。
○長時間労働を強いられ、自殺を選択した。

このような大変なことが、起こるのです。
無理しすぎている人は、前だけを見つめ、必死になり、自分を追い込みます。
周りの人と相談したり、ゆっくり休むことなどの考えが、及ばないのです。
心の余裕が、まったく持てないのです。

ここで、お釈迦様の教え、「荒行苦行は意味がない」を紹介します。

お釈迦様は、悟りを開くため、ひとり山にこもり、飲まず食わずの断食修行を、何日も続けていたのです。
しかし、あるとき、とうとう心身ともに、極限状態にきてしまい、もうこれ以上の断食をしたら、悟りを得る前に死んでしまう、というところまで、来てしまったのです。

お釈迦様の体は、すっかり骨と皮だけ、という状態になっていて、精神もおかしくなりかけていました。
お釈迦様は、あまりにも苦しくて、死にそうだったので、水を求めて、山のふもとまで、下りていったのです。
すると、どこからともなく、誰かが歌う声が、聞こえてきたのです。
声のするほうを探してみると、下の川辺を、小舟に乗ってギターを弾きながら、渡っていく男の姿がありました。

耳を澄ましていると、こんなふうな歌が、聴こえてきました。
「おいらのギターは、古ギター♪ 弦はしなっていい音がなる~♪ ポロロン~ポロロン~
いい音がなる~♪」と。

それを聴いたお釈迦様は、そこでハッと、悟りを得たといいます!
「なんでも加減が、必要なのだ。こんな極限状態まで、自分を追いやっても、死んでしまっては、なにをしているかわからない。こんなことでは、悟りを得る前に、死んでしまうではないか。生きてこその人生だ。こんな荒行苦行は、意味がない。張りつめただけのあり方は、張りつめた弦と同じで、すぐに切れてしまうもの。適度にゆるむということが、良い加減を生むのだ」と、いうように。

無理しすぎないで、生きましょう。
無理しすぎて、加減を間違えると、張りつめた糸が切れて、大切なものを失ってしまいます。

自分をゆるめたり、解放したり、楽しんだりして、『良い加減』を持ちましょう。
そのほうが、良い結果や成功に、つながるのです。
生きる秘訣は、ゆとりと充実なのです。

2020年10月21日