不要な人は誰もいない 666


誰でも自分と人を比較することが好きです。

○あの人より私の方が、頭がいい
○あの人より私の方が、出世している
○あの人より私の方が、人間味がある
○あの人より私の方が、役に立っている

このように人と比較して、相手をさげすむことで、自己満足を高めているのです。
しかし、比較された人は、非常にイヤな気持ちになります。

比較され、バカにされてしまいます。
まるで不要な人と言われているようにも感じてしまいます。

ここで、「お釈迦様のお話(インドの昔話)」を紹介します。

あるとき、お釈迦様は村の子どもたちに、こんな質問を投げかけたことがありました。
「お米を食べるのに、水と火、どちらが欠かせないと思うかね」
すると、一人の子どもは、こう答えました。
「ボクは水だと思います。だって、水がないと、お米を研ぐことができませんから」
その横にいた子どもは、こう答えました。
「私は火だと思います。火がないとお米を炊くことができません」

二人の意見を聞いたお釈迦様は、笑みを浮かべながら、こう教えさとしたのです。

「水も火もどちらも重要で、お米を食べるのに確かに欠かすことができない。でも、大事なものをほかに忘れてはいないかい。それはお釜だよ。いくら水があっても、火をおこす準備ができていても、お釜がなければ、お米は炊けないからね。もっと細かくいえば、水をくんでくるオケだって欠かせない。火をおこすマキだって必要になってくる。ということは、お釜やオケやマキの材料になる木だって、火や水と同様、不可欠ということになるね。だから、この世に不要なものなんて、何一つないんだ。にもかかわらず、何かと見比べ、どっちが優れている、どっちが劣っていると比べるのは、実に愚かなことなんだ。そのことをキミたちに伝えたかったのだ」

お釈迦様は、他人と比較して、自分が上だと安心することは、大変愚かなことだと教えています。
そういった思いにとらわれすぎると、神経をすり減らしたり、気が休まらなくなってしまいます。
例えば、相手に勝ったとしても、相手を恨んだり、相手から恨まれたりして、人間関係に亀裂が入ってしまいます。

人は、他人に劣る部分があっても、欠点があってもいいのです。
人は、他人にもない良い点を持っています。

☆計算は苦手だが、文章作成は得意だ。
☆人に話をするのは苦手だが、人の話を聞くのは得意だ。
☆水泳が苦手だが、陸上は得意だ。

自分にしかない魅力や才能、個性があります。
ある面では、劣っていても、ある面では優れていることを自覚し、優れていることをどんどん伸ばしていきましょう。

お釈迦様が、教えさとされたように、この世の中に不要なものなんて、何一つもないんです。
この世の中に、不要な人は誰もいないのです。

2020年05月18日