驕り高ぶる人は身を滅ぼす 676


同じ子ども時代の仲間、学生の仲間、会社の仲間で、大変仲良くしていた人がいます。
しかし、仲良くしていたのに、急に態度が変わる人がいます。

冷たくなったり、命令的になったりなど態度が変わるのは、仲間時代に比べ、自分が偉くなったなどと思い、仲間を自分より下に見てしまうからです。

○自分の方が、学校の成績がよい
○自分の方が、金持ちだ
○自分の方が、会社で偉くなった
○自分の方が、いい暮らしをしている

このように、驕り高ぶる(おごりたかぶる)人がいます。
そのことを自覚している人より、自覚してない人が多いのです。

驕り高ぶるの意味は、「他人をあなどり、思い上がった態度をとる」です。
ここで、「鼻たれ小僧(中国の昔話)」を紹介します。

一人のおじいさんが、たきぎを売って細々と暮らしていました。
しかし、その日は、たきぎがまったく売れません。
おじいさんは、疲れて橋の上に座り込んでしまいました。
家まで、たきぎを背負って帰る力も出ません。
そこで、おじいさんは、たきぎを川の神様に差し上げようと思いつきました。

「神様。つまらぬ物ですが、どうか受け取ってください」
こういって、たきぎを川に投げ入れました。
すると、川から子どもを抱いた美しい女の人が現れ、こういいました。
「私は川の神様の使いです。神様はオマエの心がけをとてもお喜びで、お礼にこの鼻たれ小僧を差し上げるとのことです。鼻たれ小僧に頼めば、何でも願い事を聞いてくれるでしょう。ただし鼻たれ小僧には、毎日エビをあげなさい」
こういうやいなや、女の人はおじいさんに鼻たれ小僧を渡すと、川に消えてしまいました。
おじいさんは、鼻たれ小僧を抱えて、家に帰りました。

そして、まずは「お米が欲しい」といってみると、本当に目の前にパッとお米が出てきたので、その日は、ご飯をお腹いっぱい食べることができました。
「ありがたい。ありがたい。久しぶりに、こんなにおいしいご飯を思うぞんぶん食べられた。これも川の神様と鼻たれ小僧のおかげだ」と喜び、鼻たれ小僧を大切にしました。

それからというもの、おじいさんは、お金や家など、欲しい物を次々に頼み、一ヶ月もすると大金持ちになりました。
すると以前とは、別人のようにぜいたくで、わがままになってしまったおじいさんは、鼻たれ小僧にあげるエビを買いに行くのも面倒になり、ついつい「もう頼むこともなくなったから、川の神様のところへ帰っておくれ」といってしまいました。
すると、家やお金もろとも鼻たれ小僧は消えてしまい、また元の貧しい暮らしに戻ってしまいました。
おじいさんは、大いに後悔したのです。

この話に登場するおじいさんが、鼻たれ小僧に対して、感謝の気持ちを忘れることなく、毎日、エビを与えていたなら、ずっと幸せでいられたことでしょう。
ぜいたくやわがままになり、心や態度が変わったのです。

この話のように、驕り高ぶる人は、いつかは身を滅ぼすのです。
「おかげさま」の気持ちを持ち、すべての人に感謝の言葉をずっと言い続ければ、身を滅ぼすことはないのです。

2020年05月28日