人の心の痛みがわかる人になろう 673


人の心の痛みが、わからない人がいます。

○失恋したばかりの人に、自分のノロケ話を平気でする人がいます。
○失業中の人の前で、自分の仕事の自慢話を楽しくする人がいます。
○学歴が中学卒業の人に、大学時代の楽しい思い出を威張ったように話す人がいます。
○太っている人の前で、体型や体重の話を、笑いながらする人がいます。

もっと人の心の痛みをわかり、このような話題をさけることが、優しさではないでしょうか。
ここで、「赤ん坊を取り合った女たち(中央アジアの昔話)」を紹介します。

ある日、赤ん坊を連れた母親が、川に洗濯をしに来ました。
母親は、赤ん坊を少し離れた場所に寝かして洗濯を始めたのですが、そこへ一人の女が近づいてきて、赤ん坊を連れ去ってしまいました。

しばらくして、赤ん坊がいないことに気づいた母親が、あたりを探し回ると、女が子どもを抱いて遠くへ逃げていくのが見えました。
必死で追いかけ、だいぶ走ったところで、やっと母親は女に追いつき「私の子を返しなさい」と叫びましたが、女は「まあ、これは私の子どもだよ」としらを切り、いい合いになってしまいました。

この騒ぎに大勢の人々が集まってきたのですが、そこにはどちらが本当の母親なのかを知っている人は誰もいません。
集まった人たちも困ってしまい、知恵者のマージャという男を呼んできました。
事情を聞いたマージャは、さっそく地面に円を描き、真ん中に赤ん坊を置き、円の外側に二人の女を向かい合わせました。

「ワシが合図したら、赤ん坊をうばいあうのだ。うばい取った方が勝ちじゃ」
こういい、マージャが合図をすると、二人は赤ん坊を取り合いました。
ところが、あまり強く引っ張ったので、赤ん坊は痛くて泣き出してしまいました。
すると、片方の女は、パッと手を放しました。

そこで、もう一人の女は、赤ん坊を一人占めして、こういったのです。
「ほら、やっぱりこの子は私のものだよ」
すると、マージャは、女をとがめました。
「その子は、オマエの子ではないぞ。オマエは、さっき赤ん坊が痛がって泣いていても、平気で引っ張っていた。本当の母親ではない証拠だ」
こういって、母親の手に赤ん坊を戻してあげました。
それを見ていた人たちは、手をたたいて喜んだということです。

赤ん坊を力ずくで取り合ったら、赤ん坊は痛いに決まっています。
人を大切にする気持ちに満ちあふれている人は、他人の痛みを知っているのです。

相手を傷つける言動をとらないように心がけることは、相手を尊重するうえで、欠かすことができないのです。
そのためにも、ぜひ人の心の痛みが、わかる人になりましょう。

2020年05月25日